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オトゴンテンゲル山

オトゴンテンゲル山

モンゴル人はアルタイ山脈の壮大な山々を国家レベルで祀る儀式を行わないものの、オトゴンテンゲル山をハン・ヘンティー山と同様に古くから崇めてきたのには、いくつかの理由があります。この山がなぜ「オトゴンテンゲル」や「ボグド・オチルワーン」と呼ばれるのかを調べると、そこにも明確な由来が見られます。

チンギス・ハーンと関連する推測
『モンゴル秘史』には、チンギス・ハーンが亡くなった後、その遺体を故郷へ運んだことが記されています。遺体をブルハン・ハルドゥン山へ運ぶ際、アルタイの高い山々を越え、途中で腐敗しないようオトゴンテンゲル山の万年雪に隠し、埋葬した可能性があるという推測があります。多くの人は、天に昇った偉大なハーンの遺体を宿すこの山を敬い、「オトゴンテンゲル」と名付けたのではないかと考えています。モンゴル語で「オトゴン」は「最後の」という意味を持ち、「テンゲル」は「天の子が天に昇った」という象徴を表します。モンゴル人はチンギス・ハーンを永遠の天の子として尊崇しているのです。

オチルワーンの名の由来
「オチルワーン」は仏教の神の名前で、チンギス・ハーンが死後、オチルワーン神となったと信じる人々がいます。仏教の教えでは極楽が存在し、その主はアヴィド神とされます。アヴィド神を邪悪なものから守るため、オチルワーン神が守護者として仕えるとされています。

「オトゴン」という言葉の意味
最近まで、「オトゴン」という言葉はテュルク・モンゴル語の起源に由来し、「家の炉を守る子」という意味で解釈されていました。

歴史的伝統
唐の史書には、オルホン川のほとりで栄えたテュルクの王たちがオトゴンテンゲル山を祀り、その温泉水を治療に使用していたと記されています。当時、この山は「テンゲル山」と呼ばれていました。モンゴルの部族はテュルク民族よりもさらに古くからこの山を崇拝してきた歴史があります。そして16世紀からは「ボグド・オチルワーン」と尊称されるようになりました。

オトゴンテンゲル山は1828年に初めて保護区に指定され、毎年祭祀が行われていました。1911年、モンゴルが満州の支配から脱し、ボグド・ハーン政権下のモンゴル国の法律で毎年祀ることが定められました。しかし、1930年代にこの伝統は完全に途絶えました。それでもモンゴル人はオトゴンテンゲル山を心に抱き、多くの山を越えて供物を捧げ続けてきました。1995年からはモンゴル大統領の命令により、4年に一度の祭祀が復活しました。

山の特徴と伝統
オトゴンテンゲル山には5種類のビャクシンが生えており、これは東方全域で有名です。モンゴル人は古くから「オトゴンテンゲルのビャクシン」と呼び、大切にしてきました。ビャクシンを踏んだり枝を傷つけたりすることは厳しく禁じられており、採取する必要がある場合は経文を唱え、膝をついてお願いして取る伝統があります。また、天の加護で授かったとされる「天の花」、つまりワンセンベルー(エーデルワイス)が咲きます。この花は探しても簡単に見つからず、見える人には多く姿を現し、対で育ち、命が繋がっている特徴があります。ワンセンベルーを取るには特別な儀式を行い、古くから薬草の最高峰として知られていました。採取時にはテントを張り、地霊を慰め、供物を捧げ、犬に切り取らせ、天に見せないよう取る習慣があります。大きな白い花弁と太い緑の茎を持ち、3歳児ほどの高さに育つこの花は特別な存在です。

オトゴンテンゲル山を旅すると、牧民の家ではビャクシン、ワンセンベルー、ドゥート湖の石、黄金の砂を大切に保管しています。黄金の砂はオトゴンテンゲル近くの砂で、口に入れると溶け、胃や腸の病に効くとされています。小オトゴンテンゲルの裏側、アルダルハーン村の地域には、病気治療に役立つ炭酸水素塩と硫酸塩を含む温泉があります。31の湧き口から出るこの温泉は40~55℃の温度です。唐の史書には、8世紀からテュルクの王たちがこの温泉を病気治療に使っていたと記されています。